「ウサギ島」そもそもなぜ増えた

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「ウサギ島」そもそもなぜ増えた
大久野島のウサギ  広島県竹原市の沖合3キロに位置する大久野島は「ウサギ島」や「毒ガスの島」として知られています。どこからウサギが増えたのか、ネットで検索すると、毒ガスの実験動物だった説から、学校飼育を放った説などあり、また、最初の匹数についても、5匹や8匹など、複数の説が出ています。果たしてどの説が正しいのか、過去の中国新聞の紙面をたどりながら「ウサギ島」の源流を探ってみましょう。 【画像】大久野島のウサギが初めて掲載された1972年の記事  大久野島のウサギが初めて紙面に登場したのは、1972年4月21日付。「移入野ウサギが異常繁殖」という見出しで、広域地方版のトップ記事として掲載されています。  この記事によると、大久野島にウサギを放したのは島内の国民休暇村で、時期は「1年半前」、「白と白黒、合わせて8組のつがい」とあります。掲載日の1年半前ですから、この記事によると、時期は1970年の末ごろ、放ったのは16匹。  放つ前に野犬や野ネコを一掃して準備したところ、島内は天敵がおらず、緑豊かで温暖な気候という好条件がそろい、1年半で200匹にまで増えました。記事中では「島のアイドルにするつもりが、害獣に」という苦悩のコメントが載っています。  島は鳥獣保護区のため、国民休暇村は広島県に撃退許可を申請後、まびき作戦を展開するとなっています。「まびき」と聞くとドキッとしますが、記事は「4分の3に当たる150匹」を「網で生けどり」、希望者や他の観光地へ分譲する予定と結ばれています。  それからしばらく、大久野島のウサギは紙面に登場していませんでしたが、17年後の1989年4月20日付に「野生のウサギ すっかり人慣れ」「観光客の人気集める」の記事が見つかりました。  島内のウサギは「200~300匹」と推定し、人に慣れだしたのは「2年前から」とあります。朝と夕方、港から休暇村本館周辺の道路沿いに勢ぞろいし、観光客や休暇村職員にえさをねだっていたようです。ウサギの由来については、大久野島毒ガス資料館の関係者が「戦争中にたくさんのウサギが毒ガス実験に使われていた(中略)それが戦後、放たれて繁殖した」とする一方、休暇村関係者は「家ウサギなので、本土で飼われたものが戦後持ち込まれて繁殖したのだろう」と意見が分かれています。  4年後の1993年8月2日付には「増え過ぎちゃって困るの!!」「大久野島のウサギ ただいま500匹」「観光客の人気者でも食害深刻」「庭木かじり、芝生掘る」の見出しで紹介されています。記事では島のウサギは「28年前」に「お客に喜んでもらおう」と休暇村が放ったとあり、計算すると1965年前後。増加に拍車をかけたのが「捨てウサギ」です。この記事の3年前、米国人が連れて来た1匹は初めての茶色で、それまで真っ白なウサギだけだったのがすぐに交雑が始まったとあります。  なるほど、1972年の記事では「白と白黒のつがい」しか放たなかったのに、現在は茶系などのウサギがたくさんいる理由が分かりました。ちなみに、筆者がプライベートで初めて島を訪れたのは1987年で、その時には野ウサギとは思えない真っ白いウサギがそこら中にいたのに驚いた記憶があります。  こうやってたどってみると、増え過ぎて困ったという記事と、人気者になったという記事が定期的に交互に出ているようです。  2010年5月5日付には「休暇村大久野島 『連泊』好調 利用客17%増 修学旅行も上向く」の記事がありました。海外バカンスのように長期滞在向けのプランを本格導入し、大口の修学旅行も増加。この年のゴールデンウイークはほぼ満室の状況だと伝えています。  ネットで検索すると、ウサギ島がブームになったきっかけは2011年の干支が卯年だったのにちなみ、国内外のメディアが取り上げたという情報がヒットしますが、その数年前から少しずつ、知名度は上がっていたようです。  過去の卯年、中国新聞紙面で大久野島のウサギが取り上げられた回数を調べてみました。1987年はゼロ、1999年6回、2011年が6回。紙面に登場する回数と干支との相関関係はないようです。  ことし2023年は元日付で「魅力跳ねる ウサギの島」の見出しとともに、1ページ特集で紹介されています。現在は数百匹。休暇村大久野島は、7月に開館60年を迎えます。開館した1963年の干支は卯年。なんとなく、ウサギとの縁を感じるエピソードでした。 中国新聞社

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[紹介元] Yahoo!ニュース・トピックス - 科学 「ウサギ島」そもそもなぜ増えた