武田真治 人生はのんびりでいい

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武田真治 人生はのんびりでいい
俳優・サックスプレーヤーとして活躍する武田真治さんは、人気絶頂期に“うつ状態”に陥り、一時期実家に引きこもった経験を持つ。当時は「人に迷惑をかけてはいけない」と強く思っていた武田さんだが、回復してからは「どうやって人に甘えようか」と思えるようになったと話す。45歳で自身の特性に気づき、50歳を迎えた今「人生はのんびりでいい」と話す武田さんに自分らしさの見つけ方を聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice) 人気絶頂期に引きこもり状態に。回復のきっかけは曽祖母の話 「きちんと自分と向き合っていたら、時間がかかっても自分らしさは見つかると思う」と語る武田真治さん ――武田さんは、引きこもり状態になっていた時期があると聞きました。 武田真治: 20年ほど前、アイドルアクターとして注目していただいた後、社会的な作品にも出演していた、人気絶頂期と言われるような時期に引きこもりになっていました。その頃の芸能界は本当に過酷でスケジュールもどんどん埋まっていき、キャパオーバーになってしまったんだと思います。 肉体的なつらさはもちろんありましたが、僕にとって大きかったのは精神的なプレッシャーでした。僕は姉の影響でチェッカーズの大ファンになって、藤井尚之さんの真似をしてサックスを始めたんですが、体調を崩してしまったときに顎関節症も発症してしまい、サックスが吹けなくなってしまったんです。「チェッカーズみたいになりたい」っていうのがモチベーションであり、夢であり、東京に出てきた理由だったので、サックスが吹けなくなってしまったことで、心の緊張がポッキリと折れてしまったんだと思います 俳優業としては波に乗っていたので、周りからは「俳優だけやればいいじゃないか」って言われていたのですが、そうもいかなかったんですよね。俳優業は演技学校みたいなところに通って地道に学んだわけじゃないので、自分には軸がないんですよ。やはり“サックス”というよりどころが自分にとって本当に大事だったのだと思います。そのタイミングで結婚をしていたり、サックスに代わる何かがあればよかったのかもしれないですけど、その時の自分にはそこまで確固たるものが他になかった。 ――そのときの武田さんはどういった状態で過ごしていたのでしょうか。 武田真治: 実家に帰って、閉じこもった生活を送っていました。見かねた両親が僕を親戚の家に連れて行ってくれたりしましたが、その場で「死の世界ってどんな感じなのかな」とか言ってしまう状態でした。 昔は心の弱さを「病気と認めたら負け」みたいな風潮があって病院には通わなかったので「当時うつだった」と断言はできませんが、うつ状態に近かったと思います。今では、当時のことを少しずつお話ししたり、本に書いたりすることで、自分にとって“あの経験は必要だった”と思えるようになっていますが、当時は一日一日が長く本当につらかったですね。 ――その状態から抜け出せたきっかけはあったのでしょうか。 武田真治: 引きこもり状態になっていたとき、両親がたくさんの親戚に会わせてくれた中で老人ホームにいる、ひいおばあちゃんにも会いに行きました。 もう僕のことは忘れてしまっていたんですけど、マナーとか言葉づかいがすごくしっかりしていて、ベッドに正座をして話をしてくれました。僕の顔を見て「ごめんなさい。あなたが誰かわからないの」ってハッキリと言う姿が妙にかっこよかったんです。「僕が誰なのかわからなくてもいいので、少しお話をさせてもらえますか」と言うと、人生を一緒に振り返ってくれました。 最後に「人生で一番楽しかったことって何?」と聞いたら、「自分の子どもが幼稚園や学校行事で、人前で出し物をしている姿を見るのが一番楽しかった」って。その言葉を聞いて、パチンっと目が覚めました。今ここに僕を連れてきてくれたお母さんから、その楽しみを奪おうとしているのかもしれない、自分の未来にあるかもしれない一番楽しい瞬間を自ら奪おうとしていたのかもしれないと思うと、急に力が入ってきたんです。自分にとって必要な言葉や支えが手に入ると人間ってすごいですね。「もう一回東京に行って、頑張ってこようかな」と思うようになったんですよね。 それから治療にも力を入れるようになって、まず鍼灸治療院を紹介してもらいました。「こうしなきゃ、ああしなきゃと思うことをやめて、とにかく力を抜きなさい」と言われて、余裕を持つことを心がけました。筋肉を緩めるために縄跳びも勧められました。「まずは一度も失敗せずに100回跳べるようになりなさい」と言われて、少しずつ頑張りました。

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