鮎川誠さん死去 がん公表せず

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鮎川誠さん死去 がん公表せず
シーナ&ロケッツの鮎川誠(2019年4月3日撮影)  ロックバンド、シーナ&ロケッツのギタリストでリーダーの鮎川誠さんが29日午前5時47分、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。74歳。所属事務所が30日、発表した。昨年5月にがんが発覚し、余命5カ月程という宣告を受けたが、本人の強い思いで公表しなかったという。喪主は長女の陽子さん。2月4日に世田谷区の森巌寺開山堂で、ロック葬を執り行う。 【写真】シーナさん葬儀で喪主のあいさつをする鮎川誠さんと三女の知慧子さん、次女の純子さん、長女の陽子さん  78年に、鮎川さんと妻で15年に亡くなったシーナさんらでバンドを結成し、「涙のハイウェイ」でデビュー。しゃがれたパワフル声が持ち味で、79年に「ユー・メイ・ドリーム」がJALのテレビCMに起用されてブレーク。他に「レモンティー」「ピンナップ・ベイビー・ブルース」などをヒットさせた。  以下ツイッターの発表文全文  「鮎川誠のファンの皆様、関係者の皆様へ 1月29日5時47分、鮎川誠が永眠いたしました。膵臓がんでした。これまで鮎川誠とシーナ&ロケッツを長年に渡って応援し、愛してくださり、本当に有難うございました。鮎川誠の通夜並びに葬儀告別式は下記の通り執り行います」  画像でも報告した。  鮎川誠のファンの皆様、関係者の皆様へ1月29日5時47分、鮎川誠が永眠いたしました。膵臓がんでした。  これまで鮎川誠とシーナ&ロケッツを長年に渡って応援し、愛してくださり、本当に有難うございました。  鮎川は1966年の初ステージ以来、現在まで57年間に渡りノンストップでロックンロールを続けてきました。昨年5月、膵臓癌が発覚。医者から余命5ヶ月程という宣告を受けました。ですが、みんなに心配をかけたくないという強い希望から一切病気を公表せず、ライブの合間に治療を続けながら全国ツアーを続行しました。  『自分が死ぬまでの間に1本でも多くシーナ&ロケッツのライブをやりたい』と1本1本のライブに全身全霊を注ぎがら行なってきました。  昨年には45周年記念ライブを新宿ロフトで開催し、47都道府県ツアー、沖縄・宮古島でのライブ、ロンドンナイトのクリスマスなど、重いレスポールを爆音でかき鳴らし、病があるにも関わらず、いつも熱いステージで昨年のライブ本数はここ数年で最多でした。  昨年末激しい腹痛により一時入院となるも、この1ヶ月間は医師の治療の下、ライブ復帰を目指して自宅で懸命に家族と回復に努めておりました。  亡くなる直前まで次に出すアルバムの選曲を考えたり音楽制作に没頭しておりました。最期の瞬間までロックに身を捧げた生涯でした。  鮎川誠、そしてシーナ&ロケッツを愛してくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。心からありがとうございました。通夜・葬儀は、長年暮らした下北沢で、シーナと同じ『ロック葬』で送りたいと思います。どうぞ当日は遠い世界に旅立つ鮎川誠に会いに来て最後の別れの言葉をかけてあげてください。ロケットダクション  ◆鮎川誠(あゆかわ・まこと)1948年(昭23)5月2日、福岡・久留米市生まれ。九州で人気を博したグループ「サンハウス」を率い、九大在学中にシーナさん(故悦子さん)と出会い、妊娠を機に75年に結婚。3人の娘をもうけた。78年にシーナ&ロケッツを結成し「涙のハイウェイ」でデビュー。88年にTBS日曜劇場「男たちのフツーの週末」でドラマデビュー、01年にはNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」で朝ドラに出演する役者としても活躍した。

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