余命3年と言われた息子 動いた母

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会報の最終号(昨年9月発行)を手にする宮地里江さん(左)と徳永和夫さん  白血病や悪性リンパ腫などの血液疾患の患者や家族でつくる市民団体「リボンの会」(福岡市、約500人)が3月末、世話人の高齢化で活動に幕を下ろす。30年前、息子が白血病に侵されたのを機に一人の母親が立ち上がり、当事者だけでなく、医療者も巻き込んで講演会や交流会を続けてきた。その活動の歩みは、骨髄バンクの普及や治療法開発の歴史と重なる。  (下崎千加) 白血病で逝った7歳の娘…「卒業まで一緒だよ」思い続ける仲間  きっかけは、代表を務める宮地里江さん(78)の長男、源吾さん(52)が大学4年の1992年、慢性骨髄性白血病を発症したことだった。当時、白血病は「不治の病」といわれた。緊急入院した九州大病院の主治医に「余命は3年。助かるとしたら骨髄移植しかない」と告げられた。  骨髄移植はHLA型(白血球型)が適合する人との間でしかできない。親類には適合者がおらず、前年に発足したばかりの「九州骨髄バンク」(現日本骨髄バンク)のあっせんに頼るしかなかった。ただ当時はドナー登録が少なく、見つかる確率は低かった。  里江さんは福岡市のバンク事務局を訪ね、泣きながら訴えた。「私たちには情報も、気持ちをぶつける場もない。患者と家族の会をつくりたい」。その時、「大賛成します」と応じたのが、HLA型を調べる福岡県赤十字血液センターの技術部門の職員で、バンク事務局員も兼ねていた徳永和夫さん(74)だ。  「人と人を結びたい」との思いで会の名前を決め、93年9月に発足。入院中の患者に代わり、主に家族や徳永さんらボランティアで運営した。街頭でドナー登録を呼びかけるチラシを配り、年に数回、講演会や交流会を開催。活動を続けられたのは、血液疾患治療に力を入れる浜の町病院(福岡市中央区)が会議室を提供し、毎回手弁当で参加する医師や臨床心理士らが最新の治療法を紹介したり、さまざまな疑問に答えたりしてくれたことも大きい。2009年には白血病で骨髄移植を受けた故十二代目市川團十郎さんを講演会に招いた。

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