城咲仁 干された期間はずっと勉強

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城咲仁 干された期間はずっと勉強
21年4月に結婚を発表した妻の加島ちかえとのツーショット。妻の存在が支えになっていると、城咲は語る 「これはホスト時代からずっと貫いてきたことなんですが、嘘をついたり義理を欠いたりは絶対にしない、というのが僕の信念です。タレントデビューした当初から出演させていただいているQVC(24時間365日、テレビショッピングを放送する専門チャンネル)でも、自分が心から良いと思う商品を熱意を持って紹介するようにしてきました。その姿勢をいろんなメーカーさんが認めてくれたからこそ、今の僕があるんだと思います」 【写真を見る】かわいい…!城咲仁と美人妻の「秘蔵写真」…! タレント・城咲仁(45)は自身のこれまでの歩みをそう振り返った。 東京・板橋の人気中華料理店『丸鶴』を営む両親のもとに生まれた城咲は、高校卒業後に家出同然で実家を飛び出し、20歳の頃にホストの世界へ。歌舞伎町の有名ホストクラブ『クラブ愛』でナンバーワンとなった当時の月収は、3000万円を超えることもザラだったという。 「実家はチャーハンが有名な中華料理店で、いまでも毎日行列ができています。でも僕はどうしても跡を継ぎたくなくて(笑)。成人式のときに作ったスーツを着て『クラブ愛』を訪ねたら、初日から接客をさせられてそのままホストになりました。 ホストになった後は、毎日開店の4時間前に出勤をして大量の名刺を配りまくっていましたね。今みたいにSNSがない時代だったので、地道な努力をしてお客さんを獲得するしかなかったんです。徐々に僕を指名してくれるお客さんが増えてきて、やがてナンバーワンになれた。20代の後半まで、8年ほどはずっと歌舞伎町のトップクラスにいさせてもらいましたね」 ’05年、元歌舞伎町ナンバーワンホストという経歴を売りにタレントデビューした城咲は、持ち前のトーク力で瞬く間に売れっ子となった。バラエティ番組に引っ張りだことなっただけでなく、俳優として数々のドラマや映画にも出演。しかし’11年頃、ある事件をきっかけに、芸能界から完全に干されることになる。 「決まっていたドラマが、突然降板になったんです。そのドラマの主演はある大手事務所所属の俳優で、僕はその人とキャラが被っているから、というのが理由でした。僕はそのドラマのために2ヵ月スケジュールを空けていて、その間のテレビ出演はすべて断っていた。台本には僕の名前もある。事務所の社長と常務がテレビ局に出向いて抗議をしてくれたのですが、結果は覆らず……。そのことをきっかけに、一気にテレビに呼ばれなくなりました」 不遇の時代は約5年間続いた。収入は激減。住んでいた都心の高級マンションを引き払い、東京・新小岩の家賃5万8000円のアパートに引っ越した。 「駅から歩いて25分のアパートに当時付き合っていた彼女と二人で住んでいました。1階の湿気だらけの部屋でしたね。不思議なもので、生活レベルを落とすとどんどん運気も落ちていくんですよ。日がな彼女とぶらぶら過ごすばかりで、ぜんぜんお金を稼げなくなった。見栄を張ってでも、生活レベルは落としちゃダメですね。苦境に立たされても、歯を食いしばってがんばらないと……」 ドン底にあった男を支え、復活に導いたのがタレントデビュー当初から出演していたテレビショッピングだった。干されていた期間に勉強を重ねた城咲は、自身が紹介する商品をより深く理解するため、様々な資格・免許も取得した。 「ダイエットインストラクター、スーパーフードマイスター、薬膳インストラクター、雑穀マイスター、ソイフードマイスター、スクーバダイビングアドバンス……。自分の言葉できちんと商品を伝えるために、すべて取得しました。干されていた期間引きこもって、ずっと勉強をしていました」 熱意は視聴者に伝わり、やがて城咲はテレビショッピング界のトップバイヤーとなった。これまで、2億5000万円を1日で売り上げたこともあるという。 「僕の最高売上です。添加物の一切入っていないダイエット食品で達成しました。その商品を作っているメーカーさんはすごく感謝をしてくれて、工場がある韓国で5日間も接待をしてもらいました(笑)。 ここ3年間で、商品ごとに定められた売り上げ達成率を割ったことは一度もありません。これは、僕が自分で勉強して良いと思った商品を紹介しているからこそ達成できた数字だと思っています。実は、僕がQVCに出るときは台本もないんですよ。商品の説明を受けて進行を確認するだけ。紹介する際の言葉は、すべて自分で考えてしゃべっています」 昨年4月には長年所属していたサンミュージックから独立。プライベートではタレントの加島ちかえ(32)との結婚も発表した。 「僕の活動を支えてくれたサンミュージックには心から感謝をしています。まったく揉めたということはなく、円満退社ですよ。それでも独立したのは、マネージャーを通してではなく、僕が直接メーカーさんとやり取りしたかったからです。ありがたいことに、僕と一緒に商品開発をしたいという話もたくさんいただいています。 妻は、僕にめちゃくちゃ厳しいんです。少しでもダサいことをすると、そんなの私の好きな城咲仁じゃないって。そうやって僕のことを想ってはっきりと言ってくれるところが、好きだなぁって思います(笑)。彼女がいるからこそ、嘘のない生き方をできているし、それによって仕事も順調にいっていると感じますね」 嘘をつかず、自分自身が納得した商品を紹介する――。その信念が画面越しに伝わっているからこそ、城咲はドン底から復活することができ、人気バイヤーとして活躍を続けられているのだろう。 FRIDAYデジタル

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